『源氏物語』の作者とされる紫式部の日記。中宮彰子の出産前後の出来事を綴る記事、手紙のように綴られている他の女房の論評などから成っています。華やかな宮廷生活の中、独り懊悩する紫式部の姿が垣間見えます。
行幸近くなりぬとて、殿のうちをいよいよつくろひみがかせ給ふ。世におもしろき菊の根をたづねつつ、掘りてまゐる。いろいろ移ろひたるも、黄なるが見どころあるも、さまざまに植ゑたてたるも、朝霧の絶え間に見わたしたるは、げに老いも退ぞきぬべき心地するに、なぞや。
まして、思ふことの少しもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし、若やぎて、常なき世も過ぐしてまし。めでたきこと、おもしろきことを見聞くにつけても、ただ、思ひかけたりし心の引く方のみ強くて物憂く、思はずに、嘆かしきことの増さるぞ、いと苦しき。
「いかで今は物忘れしなむ。思ふ甲斐もなし。罪も深かるなり」など、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふこと無げに遊び合へるを見る。
水鳥を水の上とやよそに見む我も浮きたる世を過ぐしつつ
「彼もさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかるなり」と思ひよそへらる。
一条天皇が道長様のところをお訪ねになる行幸の日も迫ってきたということで、道長様は邸内をますます手入れさせ、立派に整えさせなさる。人々は、実に素晴らしい菊の株を探し回り、掘り出して献上する。様々に色変りしている菊も、黄色いので見どころがある菊も、様々に植えつけている様子も、朝霧の絶え間に見渡したときには、延命長寿の花といわれる菊だけあって、本当に老いも退いてしまいそうな気持ちがするけれど、どうしてだろうか、そんなに晴れやかな気持ちにはなれない。
まして悩みが少しでも人並みの身であったなら、この菊を目の当たりにすれば、うきうきもして、若々しい様子で無常の世も暮らしたでしょうに。素晴らしいこと、素敵なことを見たり聞いたりするにつけても、ひたすらに、気掛かりなことを抱える気持ちに引きずられる面ばかりが強くて、憂鬱で、意図しないところで嘆かわしいことが募っていくのが、とても苦しい。
「何とかして今は悩みをすっかり忘れてしまいたい。悩んだところで甲斐がない。こうして拘泥していることは、罪も深いことであるようだし」などと考えていると、空が白んできたので、ぼんやりと物思いにふけり、水鳥などが悩みなどなさそうに遊び合っているのを見る。
水鳥を水の上のものとしてよそごとに見るだろうか、いや、見ない。私も水鳥が水に浮いているように、私もふわふわと辛い世の中を過ごすばかりなのだ
「水鳥もそうして気晴らしのように遊んでいるように見えるけれど、実際その身はとても苦しいようだ」と、自分と重ねて見つめずにはいられない。